前回学習した味真野の小字名調べでは、鉄関係の名前がけっこうあることが分かりました。そして、かつて鉄滓が発見されたという桧尾谷町の「鍛冶田」と文室町の「赤畑」・「銀砂」は、距離がかなり離れていると思いきや、地図を見ると実は武衛山群を通れば直線で結びつき、人が通れる山道まであることが発見できました。何らかのつながりが期待できます。
 先週と今週は、味真野ゆかりの継体天皇の学習をしました。大和よりも先に鉄を掌握していたから天皇になったと言われる継体天皇。その鉄を味真野で調達していたとしたら、味真野と継体天皇が結びつきます。つまり、味真野の継体伝説の根拠ができることになり、これこそが今回の総合学習の目的です。子供たちは自分の地元の話ですから、目をくりくりさせて学習していました。