先週、鉄の製品を作る手段として、鍛造と鋳造という難しい言葉を学びました。その鋳造の場が昔の味真野にあり、しかもその鋳滓(つくるときに出るかす)が五分市の功徳寺さんの西一帯に落ちていると40年ぐらい前の書物に書いてあったので、22日に6年生全員でその場を訪れてみました。すると…

(児童の日記より)

「現場に着いたとき、ぼくはこんなところに本当にあるのかと思いました。そんなことを思ったのもつかのま、先生に『あなたたちはスラグ(鋳滓)をふんでいますよ。』と言われたとき、ここにはどんだけあるんだと思いました。」

「さがしてみるとどんどんどんどん見つかって、これはすごいなあと思い、これなら家の近くにもあるんじゃないかと思うぐらいたくさんあって、びっくりしました。」

「私が持って帰った鋳滓は、でこぼこで細かい穴がいっぱいあいていて、色はふつうの石よりも黒く、オレンジの部分がありました。」

「鋳滓を見つけて思ったことは、同じ大きさの石と比べると、重さが全然ちがうということです。1.5倍から2倍ぐらい重いのでびっくりしました。」

「途中から磁石に付くのろを探すことになりました。今日行った所は銅もたくさん作っていたらしくて、磁石に付くのろはあまりありません。赤いのろは鉄がさびているからなので、赤くなっているのろを探したら、磁石にくっ付くものを見つけることができました。」

「ふつうの石と同じくらいにのろがたくさんあったということは、五分市ではそれだけめっちゃ作っていたんだなと思いました。」 

 途中、近くで畑作業をされていた方にお話をお聞きすると、昔このあたりで鍋や釜を作っていたことをご存じではありませんでした。この味真野の忘れかけられている歴史を、一人でも多くの子供たちが後世に伝え広げていってほしいと思います。