大量に収集した五分市鋳物の鋳滓(鋳造のときに出るカス)を、大きさや磁石の付き方で分類してみました。ただ分類するのではなく、それらの鋳滓が鋳造のどの過程で生じたものなのかを考えながら作業をします。活動後の日記には、なかなか鋭い考察が見られました。

「型の外に流れ出たドロドロの鉄が、地面の石と結びついたのが鋳滓だと思う。」「茶色い部分を水につけてこすると、ざらざらした砂になった。もともとは砂だったのに鉄がついて固まったから、かたい土になったのだと思う。」「最初は重い鋳滓だけ磁石につくと思っていたけど、水にうくものも磁石についた。大きい小さい、重い軽いは関係なく、鉄の成分がちがうんだと思った。」 

 『越前国名蹟考』という古い書物によれば13世紀半ば頃、なんと五分市の村人の半数が鋳物師業に従事していたということです。その真偽はともかく、明治時代まで五分市で鋳物が作られたことはまちがいありません。つまり子供たちが触っている鋳滓は、少なくとも150年以上前の多くの味真野の人が携わっていたもの。長い時を超えて、昔の味真野の人と手をつなぐことができました。